2012年12月31日

「四百年の襷」覚書:島左近

この日、いよいよ我らの長きに渡る鍛錬が具現化する事となった。

足軽共も誠に良き顔である。
前日に町の皆々に観ていただいた事で「本分」が腑に落ちたのであろうな。
言葉としてのそれよりも、やはりその眼で見て肌で感じたものの方が確かなものになる。


我らの「本分」は、しかと皆に伝わった事と思う。
そなたの眼には、如何に映ったかのぅ。
機会があれば、その声直に聞きたいものじゃ。


さて、ここからは儂の「四百年の襷」に込めた思いを記していこう。
誤解のないように言うておくが、あくまで儂の私見じゃからの。皆と想像や思考とは異なる部分があるかと思うが、気にするなよ。
人の生とは見方を変えればどうとでも移るものじゃて。
それを凝縮した「舞台」なら、尚更それが色濃く反映されるものじゃからな。


儂が込めた思いは「歴史の闇」じゃ。


四百年前と言えば長いように感じられるが、世代で言えば七、八世代前の話。
けして昔々という訳ではない。
故に、未だに過去の因縁を抱えている部分もある
単純に戦というものは命を粗末に扱うものであるし、そこに正義だのという美学はそぐわない。
そしてその死の上に成り立つ歴史とは必ずしも美しいものではない。
時に無様に地べたを這いずり回り、泥と血にまみれて綴られたもの。
そこから目を背けてはならんと、儂は思うておる。


「四百年の襷」の最後のシーンはとても美しい。
雪降る中、かつての戦友達が佇む。
その中に黒き姿の男がおる。
その男は誰でもなく、関ケ原の大戦で命を散らしていった者達じゃ。
歴史に名を残す事なく消えていった者達が、それで安らかになれるとは思わん。
しかし、あの日目の前で散っていった者達への感謝と後悔が、今も儂の心にあるからのぅ。


今も各地に争いは絶えず、人は過ちを犯してゆく。
しかし、それと同じくらいの奇跡も起きる。
そして、人は日々力強く生きてゆく。
辛い時には泣けばよい。
楽しかったら大声で笑えばよい。
自らの生は自らの手で創り、その足で歩むものじゃ。


最後に、関ケ原東西武将隊を支えて下さった関ケ原町の皆様、関係者、スタッフの皆様には本当に世話になった。役場の方々は常々儂らの我が儘を聞いていただき、いくら感謝しても足りないわ。
本当に有り難う。


そして、今年の我らを応援してくれた皆々よ。
ありがとう。
そして、さらばじゃ。
来る2013年を良き年にな。






生を受け 朱に染まりし 我が道に
去らばと告げん 我が刃
思い積もりて 関の原
潤む世界は 白銀の中

関ケ原東西武将隊 島清興
posted by 関ケ原東西武将隊, at 15:35 | Comment(1) | category: 島左近 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は『四百年の襷』の舞台を見ている間、ずっとドキドキしていました。
観終わってから、関ヶ原の戦いに関わった武将と、その時代に生きていた人たちのことが、
もっともっと知りたくなりました。
6年生になったら、歴史の授業を習うので、しっかり勉強したいです。

Posted by 小学5年生ともも at 2012年12月31日 16:12
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