2011年10月05日

武州 丸墓山古墳:石田三成

…。

…、石田三成である。

鍛練の合間を縫い、武州は忍(埼玉県行田市)を訪ねてきたぞ。

行田は誠に良い土地であった…。

わしが新たな気持ちで、見た忍…。
皆にも紹介したいと思う。


まずは…、わしが陣を置いた丸墓山古墳である。
日本最大規模の円墳なり。

ここにわしの旗印「大一大万大吉」の幟が翻っておったのだ。



わしが築かせた、石田堤も一部現存しておる。



丸墓山から忍城を望む。

わしは、忍城を水攻めとすべく…28kmに及ぶ、いわゆる堤防を一週間で築いたわけじゃ。

これが先に述べた「石田堤」である。

忍は低地ではあるが、見る限りは平野であるからして、水攻めは至難の技よ。

だが、わしは太閤殿下の威勢を天下に示さねばならぬ使命も帯びておった。
そして、殿下に憧れておった…。

しかし…、あえなく堤は決壊し、わしが陣に水がなだれ込む憂き目にあったのだ…。

あの時、わしに付き従ってくれた者達
と改めてこの美しき景色を見たいものじゃ。
さすれば、あの者達も喜んでくれよう…。


さて…。

この丸墓山古墳がある一帯は、「さきたま古墳群」と呼ばれておってな…、
行田市埼玉(さきたま)という場所にある。

埼玉県の県名発祥の地に、大小様々な古墳が密集しておる。

なんとな…、前方後円墳にも登れるんじゃ!


広大な空間に密集する古墳群。

この日も、わしは関ケ原にならい、馬(自転車)に乗っていたわけだが…、秋の風に乗る金木犀の香りを身体で受け、すこぶる良い気分であった。

わしも、あの1590年に感じた太古より続きし喧騒を、皆にも感じて欲しいと思う。

…オススメじゃ。


次回は、いよいよ忍城。
もしくは、水城公園・ゼリーフライについてじゃ。

お楽しみにの。


三成


posted by 関ケ原東西武将隊, at 00:36 | Comment(4) | category: 関ケ原東西武将隊とは? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは、殿。
行田行き、お疲れ様でございます。

まだまだ忍城やその周辺は勉強中で、恥ずかしながら行ったこともないのですが、
こちらもまた当時の堤などが現存していて素晴らしいですね…!

関ヶ原とはまた違った空と景色ですが、三成さんの居た…見た場所、景色…
少しでも知れて嬉しく思います´`

忍城やゼリーフライの記事も楽しみにしております(´`*)
Posted by ナキ at 2011年10月05日 00:51
おはようございます。
初めてブログに書き込ませて頂きます。

こんなに素敵に紹介していただけるなんて、
地元民としては本当に嬉しい限りです!
行田が誇るB級グルメ・ゼリーフライのレポ楽しみに待っております!

またのご来訪、心よりお待ち申し上げております!

Posted by さゐたまを at 2011年10月05日 07:26
三成様こんばんは。初めてコメントをします。
昨日は自転車での忍攻めお疲れ様でした。
まさかこんなにも早く、忍城へ行かれるとは思ってもいませんでした。思わずコメントに参りました。
折角甦られたのであれば、一度は三成様達にも丸墓山からの眺めを見てほしいと思っていましたのと、先日訪ねた際に伺った殿のお言葉と共にツイッターの実況に驚いたり感動しながら、昨日はとても楽しく呟きを追っていました。

江戸でもお忙しい中、素敵なレポを有難うございました。
次回のレポも楽しみにしています。
Posted by コロ at 2011年10月05日 23:51
石田様、長浜市にはもう寄られましたか?
以前、石田様の史跡を巡り、石田会館石田三成資料室、石田三成公一族及び家臣供養塔、石田地蔵(石田町)、
石田神社(谷口町)、関ヶ原合戦後捕縛の地とされる大蛇の岩窟(伊香郡木之本町)などを訪れた際には、
あなた様の生きざまに胸が熱くなりました( т‐т)LOVE & PEACE

石田町の供養塔では、毎年11月6日を公の命日として墓前において慰霊法要が行われるようです。
Posted by あゆゆ at 2011年10月20日 21:18
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。